先の大戦研究会

第二次世界大戦を軸に日本の近代の戦争を研究しています

日本の国際連盟脱退

昭和6年

9月19日 満州事変後直ちに国民政府は国際連盟に提訴
9月22日 日支両国が事件を平和的に解決するように決議

      (理事会の微温的態度に中国学生団が激怒)
9月30日 連盟理事会で「日本政府は、その臣民の安全および財産の保護が確保せら

      るるに従い日本軍隊を出来る限り速やかに鉄道付属地内に撤退させる」旨

      の決議を可決

10月5日 中国政府から速やかな日本軍の撤兵を要求

      日本政府は平常関係確立の基礎となる大綱について協定することを提案

      (これ以後連盟理事会および日支両国での話し合いはまとまらない)

11月16日 理事会の行き詰まりを打開するため日本代表部が2案を提案

         一(略)       

         二 理事会が日支問題の正当な解決ができるよう

           国連調査委員を満州および中国本部派遣する 

          (この決議案で結成されたのがリットン調査団である)

12月10日 上記決議案を可決

12月13日 若槻内閣が総辞職し犬養毅内閣が成立

昭和7年

1月7日  米国国務長官スチムソンがいわゆる「スチムソンドクトリン」を日支

      両国に通告(中国の主権独立、領土行政保全、門戸開放など)

1月28日 上海事変勃発

1月29日 中国が連盟に提訴し理事会はスチムソンドクトリンを支持

       南京国民政府と広東政府の妥協が成立 洛陽に遷都

2月29日 リットン調査団東京に到着

3月3日  連盟理事会は臨時総会を開き上海事変解決のため「十九国委員会」設置

5月5日  上海事変の日支停戦協定成立

5月15日 犬養首相暗殺

9月4日  リットン報告書が完成

9月15日 日本が満州国を承認

11月21日 リットン報告書審議のため連盟理事会が開かれる

      (日本代表団は松岡洋右

12月6日 理事会がこの問題を特別総会に付議したため総会を開催

12月9日 総会は解決策提案を「十九国委員会」に依頼

12月15日 十九国委員会は日支両国へ紛争解決に関する決議案を提示したが

       不調に終わったため連盟規約第十五条に基づく勧告案を作成

      (国際紛争解決のため理事会が調停するという強力な手段)

昭和8年

2月14日 十九国委員会は先の勧告案を採択し総会へ報告

1月30日 日本政府の取るべき態度は根本的に変更ないと発表

      (日本の世論は連盟脱退を論じていた)

2月24日 連盟総会で十九国委員会の勧告案を賛成42反対1棄権1で可決

3月27日 国際連盟脱退の大詔が渙発され連盟へ通達

※10月  ドイツは軍縮会議の経過を不満として連盟を脱退