先の大戦研究会

第二次世界大戦を軸に日本の近代の戦争を研究しています

列国の対支援助

国際連盟と中国の協力関係は、昭和6年満州事変直前に成立している。しかしモネーらの尽力にも関わらず特に成果は無かったようである。

このモネー構想が練られていたのは昭和9年3月ごろであって、これにたいし日本外務省は著しく神経をとがらせていた。モネーは日本にたいしても対支借款を行うよう勧誘をしたが、当時の日支関係はまだ投資のできるような空気ではなく、また日本の財界は、内地と満州にたいする投資で手いっぱいであった。また国際連盟脱退後は、日本の政財界、軍部とも焦燥感、孤立感にかられるとともに優越感が複雑に交錯していた。  p24

昭和9年 3月19日には広田外相が在支公使へ「日本を除外しての国際協力の無駄なることをに関しモネー等を指導すること」4月13日「現下支那に対する外国側の策動は一応之を破壊する建前にて進む」と指示している。4月17日の天羽声明と続く流れが見えてくる。

米国は昭和8年5月に、5千万ドルの棉麦借款を成立(但し不成功2千万ドルへ減額)させている。また中国の航空界は中国航空公司(米国系)の支配下にあり、多数の米国海軍の関連情報が日本側に報告されており、特に日本海軍は神経をとがらせていたようである。